西暦後漢年号関連事項備考
一九〇


























初平元

正月







二月







六月








献帝 [初平元]

関東の諸州郡は董卓討伐の兵を挙げ、袁紹がその盟主となる。それに加わる者、王匡・韓馥・孔[イ由]・劉岱・張バク・張超・橋瑁・袁遺・鮑信・曹操・袁術ら。しかし、内部不一致から、酸棗に集結した諸軍もやがて解散する。

董卓は李儒に命じて先帝劉弁を毒殺させる。

趙謙が太尉に、王允が司徒になる。

董卓は、洛陽から長安への遷都を強行する。

荊州刺史に任ぜられた劉表は、襄陽にその役所を置き、[萠リ]良らの支持をえて、勢力をたくわえる。

払が司空になる。

董卓は、五銖銭を廃して小銭を鋳る。

インフレが進行する。

遼東太守に任ぜられた公孫度は襄平に着任すると、みずから遼東侯・平州牧を号する。

この歳、孫堅は、荊州刺史の王睿、南陽太守の張咨を殺す。

応キョが生まれる。
一九一





















初平二 二月



七月

















董卓はみずから太師となる。

孫堅は、董卓・呂布の軍を破り、洛陽に入る。

淳于嘉が司空に、馬日が太尉になる。

袁紹が韓馥から冀州牧の地位を詐取する。

袁紹は、曹操を東郡太守に任ずる。

公孫と袁紹とが争う。

袁術は公孫と、劉表は袁紹と結ぶ。

袁術は孫堅をおくって劉表を討伐させ、劉表は黄祖をおくって孫堅をはばむ。

孫堅は黄祖を追討する間に戦死する(孫堅の死亡を次年とする説もある)。

洛陽を守っていた朱儁が荊州に出奔する。

 
一九二































初平三 正月




四月










六月







八月

九月

十月

十二月

董卓の軍が中牟で朱儁を破り、陳留・穎川で略奪をはたらく。

袁術が界橋で公孫を破る。

王允と呂布が董卓を誅殺する。

王允は蔡(一三二〜)を獄に下して殺す。

青州の黄巾が州に侵攻、刺史の劉岱がこれと戦って敗死、曹操が迎えられて州刺史となる。

曹操は黄巾の降兵を受け入れて、「青州兵」を組織する。

董卓の残党、李[イ寉]・郭らが長安に攻めこみ、李[イ寉]は王允を殺す。

呂布はのがれて南陽の袁術をたより、さらに袁紹のもとにゆく。

趙謙が司徒になる。

皇甫嵩が太尉になる。

淳于嘉が司徒に、楊彪が司空になる。

劉表が荊州牧に任ぜられる。

周忠が太尉になる。

この歳、曹植が生まれる(〜二三二)。
一九三



















初平四 正月

三月





六月




十月




十二月

曹操に破られた袁術は寿春に入る。

揚州刺史の陳温を殺し、袁術が淮南を占拠する。

陶謙が徐州牧に趙[日立]が広陵太守に、王朗が会稽太守になる。

朱儁が太尉となる。

父の曹嵩を陶謙の武将に殺された曹操は、陶謙を打ち破り、虐殺を行う。

趙温が司空になる。

公孫が幽州牧の劉虞を打ち破り、斬刑に処する。

張喜が司空になる。

 
一九四

















興平元

正月




七月

十二月








献帝 [興平元]

興平と改元を行なう。

劉備は陶謙のもとに身を寄せ、陶謙は上表をして劉備を豫州刺史に任ずる。

楊彪が太尉になる。

趙温が司徒になる。

曹操と呂布とが濮陽で対峙し、決着がつかぬまま兵を引く。

劉焉が死に、息子の劉璋が益州牧となる。

陶謙が病死し、劉備が徐州を領有する。

この歳、孫策が揚州刺史の劉ヨウを破り、江東の地に勢力を伸ばす。
一九五





















興平二 正月


三月






四月







十月



曹操は、呂布を定陶で破り、州を手中に収める。

李[イ寉]が献帝を武力で自分の軍営につれこむ。

朱儁が憤死する。

献帝はこれ以後、関中の各地を転々とする。

伏氏を皇后に立てる。

朱治が太守の許貢を追いはらって、呉郡を乗っとる。

袁紹は、臧洪を攻めて殺し、また公孫を鮑丘に破る。

曹操は、州牧となる。

呂布は劉備のもとに身を寄せる。

この歳、王肅が生まれる(〜二五六)。
一九六



















建安元

正月




七月

八月


十月







献帝 [建安元]

建安と改元する。

袁術と劉備が徐州を争い、劉備が敗れると、呂布が徐州牧と称する。

献帝が洛陽に入る。

曹操は兵をひきいて洛陽に入り、献帝を許(許昌)に移す。

曹操はみずから司空となり、荀を侍中に、荀攸を軍師に、郭嘉を司空祭酒に任ずる。

棗祇の献策をうけ、曹操は屯田をはじめる。

呂布に敗れた劉備が曹操のもとに身を寄せ、曹操は劉備を豫州牧に任ずる。

この歳、孫策は会稽太守の王朗を伐って、会稽を手中にし、会稽太守を称する。
一九七





建安二 正月


九月

曹操は張繍と戦い、手ひどい損害を受ける。

袁術は寿春にあって皇帝を名のる。

曹操が袁術を討伐し袁術は逃亡する。

 
一九八





建安三

九月

十二月


呂布は武将の高順をやって劉備を討たせる。

沛城を失った劉備は単身で逃亡する。

曹操は、上表をして孫策を討逆将軍に任じ、呉侯に封じる。

この歳、禰衡が黄祖に殺される。
一九九













建安四 三月


六月





十二月




公孫は、易京において袁紹に敗れ、自殺する。

袁術は、皇帝と称したが、孤立無援の中で憤死する。

袁紹が兵を進めて許を襲撃しようとし、それに対抗して曹操が官渡を固める。

孫策は黄祖を破る。

劉備は、曹操のもとを離れて小沛で独立し、袁紹と結ぶ。

 


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