西暦 | 晋 | 呉 | 備考 |
二七〇 |
泰始六 六月 胡烈は鮮卑を討伐するが、かえって軍を破られて死亡する。 |
建衡二 十一月 孫晧の従弟の孫秀が晋へ逃亡する。 |
この歳、[言焦]周が死去する(二〇一〜)。 劉[王昆]が生まれる(〜三一七)。 |
二七一 |
泰始七 |
建衡三 正月呉主孫晧は、江南の君主が天下を統一するであろうとの讖言を信じ、太后ほか後宮数千人を率いて西方に向かう。 従者たちに不満がひろがり、孫晧は帰還する。 七月 薛[王羽]・陶コウらが交趾を攻めて、これを落とす。 |
この歳、劉禅(二〇七〜)・裴秀(二二四〜)が死去。 |
二七二 |
泰始八 正月 益州刺史王濬が大艦を建造する。 七月 賈充を司空に任ずる。 九月 楊チョウ・羊[示古]・徐胤らを歩闡救援に向かわせる。 |
孫晧 [鳳凰元] 正月 年初より鳳凰と改元。 建平太守の吾彦は、晋が呉の攻略を計画していると警告するが、孫晧はそれを無視する。 九月 歩闡が西陵城をあげて晋に投降しようとする。 陸抗が歩闡を討伐する。 十二月 陸抗は西陵城をくだして、歩闡を誅殺する。 |
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二七三 |
泰始九 |
鳳凰二 三月 陸抗を大司馬・荊州牧に任ずる。 四月 呉主孫晧は韋昭(韋昭の別名)を獄に下して誅殺する。 |
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二七四 |
泰始十 二月 幽州を分割して平州を置く。 九月 陳騫を太尉に任ずる。 杜預が富平津に河橋を作る。 |
鳳凰三 七月 大司馬の陸抗が病死する。 |
この歳、魏の廃帝曹芳が死去する。 石勒が生まれる。 |
二七五 |
武帝 [咸寧元] 正月 咸寧と改元する。 六月 鮮卑の拓跋力微が息子をつかわして入貢する。 |
孫晧 [天册元] 正月 天册と改元する。 |
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二七六 |
咸寧二 八月 何曾を太傅に、陳騫を大司馬に、賈充を太尉に、司馬攸を司空に任ずる。 十月 羊[示古]は、呉の討伐を献策する。 杜預と張華は賛同するが、多くの者がそれに反対する。 楊氏を皇后に立てる。 十二月 楊氏の父親の楊駿が車騎将軍・臨晋侯となる。 |
天册二 孫晧 [天璽元] 七月 天璽と改元する。 このころ、しばしば祥瑞の報告があって孫晧をよろこばす。 |
この歳、郭璞が生まれる(〜三二四)。 |
二七七 |
咸寧三 三月 文鴦は鮮卑の樹機能を撃破する。 七月 宗室の諸王たちの改封を大々的に行う。 |
孫晧 [天紀元] 正月 天紀と改元する。 |
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二七八 |
咸寧四 三月 山濤が尚書左僕射となる。 六月 涼州刺史の楊欣が若羅抜能と武威で戦い、戦死する。 九月 何曾を太宰に、李胤を司徒に任ずる。 十月 揚州刺史応綽が呉の皖城を攻めて損害を与える。 十二月 羊[示古]が死去。 杜預が都督荊州諸軍事となる。 |
天紀二 |
この歳、東夷九国が内附する。 傅玄が死去する(二一七〜)。 |
二七九 |
咸寧五 正月 樹機能が涼州を攻略する。 馬隆が樹機能討伐に向かう。 十一月 大動員をかけて呉に攻めこみ、司馬[イ由]が[シ余]中に、王渾が江西に、王戎が武昌に、胡奮が夏口に、杜預が江陵に軍を進め、王濬・唐彬は巴蜀の兵を率いて長江をくだる。 賈充が総指揮にあたる。 十二月 馬隆が涼州を平定する。 |
天紀三 夏 桂林太守の脩允が死去すると、下部の郭馬が反乱をおこし、蒼梧・始興などの郡を攻める。 滕循をその討伐のために派遣する。 八月 張悌を丞相に、何植を司徒に、滕胤を司空に任ずる。 |