西暦備考
二八〇








咸寧六








天紀四

軍は総くずれとなる。

三月 王濬らの軍が建業にせまると、孫晧は使者をおくって晋に降服を申し入れ、呉国は滅びる。

 
西暦備考
二八〇





武帝 [太康元]

四月 太康と改元する。

五月 帰命侯に封ぜられた孫晧は、護送されて洛陽に到着する。

この歳、東夷二十国が朝貢する。
二八一






太康二

揚州刺史の周浚が寿春から秣陵に役所を移し、呉の遺民たちの反乱を鎮め、また懐柔を行う。
戦国魏の襄王(安キ王ともいう)の冢墓から大量の竹簡が発見される(いわゆる汲冢書。発見の年については移設もある)。

 
二八二











太康三

正月 泰州を廃止して、雍州に併せる。

四月 賈充が死去する(二一七〜)。

九月 呉のもとの武将莞恭・帛奉が反乱をおこし、揚州を包囲する。
ケイ喜がこれを鎮圧する。

十二月 斉王司馬攸が大司馬に、司馬亮が太尉に、山濤が司徒に、衛カンが司空になる。

 
二八三









太康四

正月 山濤が死去する(二〇五〜)。

三月 武帝の冷遇を受け、斉王司馬攸が憤死する。

十一月 魏舒が司空となる。

十二月 帰命侯の孫晧が洛陽で死去する(二四二〜)。

 


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