西暦 | 魏 | 蜀 | 呉 | 備考 |
二六〇 |
甘露五 常道郷公曹奐 [景元元] 五月 魏帝曹髦は、王経らとともに司馬昭を除くため、クーデターを発動。 賈充らの反撃にあい、曹髦は死亡。 六月常道郷公曹[王黄](曹奐のもとの名)を迎えて帝位につける。 これが元帝。 景元と改元を行う。 王観を司空に任じる。 十二月 王祥を司空に任じる。 |
景耀三 |
永安三 |
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二六一 |
景元二 七月 韓・ワイ貊が朝貢する。 |
景耀四 十月 董厥を輔国大将軍に、諸葛瞻を都護・衛将軍に任じて、協同して尚書の事をつかさどらせる。 実際には、中常侍の黄皓が蜀の宮廷を牛耳る。 |
永安四 十月 薛[王羽]が蜀に使いし、帰国ののち、蜀の政治の不振を報告。 |
この歳、鮮卑索頭部の大人拓跋力微が息子を連れて入貢する。 陸機が生まれる(〜三〇三)。 |
二六二 |
景元三 十月 ![]() |
景耀五 十月 姜維は[シ兆]陽に軍を進める。 |
永安五 八月 朱氏を皇后に、孫ワンを太子に立てる。 十月 濮陽興を丞相に、丁密・孟宗を左右の御史大夫に任ずる。 このころ張布が朝廷で実権をふるう。 |
この歳、司馬昭はケイ康を殺す(二二三〜)。 |
二六三 |
景元四 八月 大軍をおこし、 ![]() |
景耀六 後主劉禅 [炎興元] 八月 廖化・張翼・董厥らをおくり、姜維を助けて魏をこばもうとする。 同時に大赦を行い炎興と改元する。 十一月 蜀主劉禅は魏に降伏する。 明年、劉禅は安楽公となる。 |
永安六 五月 交趾郡吏の呂興らが太守の孫[言胥]を殺して反乱をおこし、九真・日南もこれに呼応する。 |
この歳、阮籍が死去する(二一〇〜)。 |
西暦 | 魏 | 呉 | 備考 |
二六三 |
十二月 ![]() ![]() |
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二六四 |
景元五 常道郷公曹奐 [咸煕元] 正月 ![]() 衛カンが成都に入って ![]() 鍾会も姜維や蜀の残存勢力と結んで司馬昭にそむくが、うちわもめのため姜維・鍾会はともに殺害される。 三月 王祥を太尉に、何曾を司徒に、荀[豈頁]を司空に任ずる。 司馬昭が晋王となる。 五月 咸煕と改元をおこなう。 九月 司馬炎を撫軍大将軍に任ずる。 |
永安七 孫晧 [元興元] 正月 蜀滅亡に乗じて、蜀の故地に兵を進めようとするが、巴東太守の羅憲に阻止される。 五月 呉主孫休の病気が重態となり、濮陽興を召し、孫ワンを託したあと逝去。 景帝とおくり名される。 濮陽興は孫晧を招いて帝位につけ、元興と改元する。 十一月 孫晧は、濮陽興と張布を捕らえて殺す。 |
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二六五 |
咸煕二 八月 司馬昭が死去。 太子の司馬炎が相国・晋王となる。 九月 司馬炎は司徒となる。 十二月 司馬炎は、魏帝曹奐にせまって禅譲を行わせて魏は滅びる。 |
元興二 孫晧 [甘露元] 三月 呉主孫晧は、紀陟・洪キュウをつかわして、魏を聘問させる。 四月 甘露と改元する。 冬 孫晧は武昌に遷都し、丁固・諸葛[青見]が建業の留守をあずかる。民衆は武昌遷都をいやがる。 |
西暦 | 晋 | 呉 | 備考 |
二六五 |
武帝司馬炎 [泰始元] 十二月 司馬炎が帝位に即き、泰始と改元する。 これが晋の武帝。 景初暦をあらためて泰始暦となす。 |
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二六六 |
泰始二 正月 楊氏を皇后に立てる。 十一月 円丘と方丘の祀りをあわせる。 倭人が晋を訪れて、ささげ物をする。 |
甘露二 孫晧 [宝鼎元] 三月 趙儼と丁忠とを晋につかわし、司馬昭の死を弔問させる。 八月 宝鼎と改元する。 陸凱を左丞相に、万 ![]() 十二月 孫晧は、都を武昌から建業にもどし、滕牧が武昌の留守にあたる。 |
この歳、王敦が生まれる(〜三二四)。 |
二六七 |
泰始三 正月 司馬衷を皇太子に立てる。 九月何曾を太保に、司馬望を太尉に、荀凱を司徒に任ずる。 十二月 星気・讖緯の学を禁じる。 |
宝鼎二 六月 孫晧は昭明宮を造営する。 人々は労役に苦しむ。 |
この歳、王導が生まれる(〜三三〇)。 |
二六八 |
泰始四 正月 賈充らが新しい律令を作って上呈する。 十一月 司馬望を大司馬に、荀凱を太尉に、石苞を司徒に任じる。 |
宝鼎三 二月 丁固を司徒に、孟仁を司空に任ずる。 十月 各地で晋に侵攻し、施績は江夏に、万 ![]() |
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二六九 |
泰始五 三月 雍州・涼州・梁州を分割して泰州を置き、胡烈を太守に任じて、異民族の対策にあたらせる。 |
宝鼎四 孫晧 [建衡元] 正月 孫僅を皇太子に立てる。 十月建衡と改元する。 |
この歳、![]() |