西暦備考
二五〇














嘉平二








十一月 呉の混乱に乗じて軍を進め、州泰が巫・シ帰に、王基が夷陵に、王昶が江陵に攻撃をかける。

延煕十三














赤烏十三

 孫権は、太子の孫和を廃して庶民となし、孫覇には自殺を命じる。
孫覇にくみした楊秋・全奇・呉安・孫奇らが誅殺される。

十一月 かわって孫亮を太子に立てる。




 
二五一


























嘉平三


二月 司馬孚を司空に任ずる。

四月 王昶を征南大将軍に任ずる。
太尉の王リョウがクーデターをくわだてたとして、司馬懿は軍を動かして王リョウを攻める。
王リョウは降服し、自殺する。




七月 司馬孚を太尉に任ずる。
司馬懿が死去。息子の司馬師が撫軍大将軍・録尚書事に任ぜられる。

十二月 鄭沖を司空に任ずる。

延煕十四


























赤烏十四
孫権 [太元元]













五月 潘夫人を皇后に立て、太元と改元する。

七月 孫権の病気が重く、諸葛恪をめしよせて、太子孫亮の後見を遺嘱する。





 
二五二




































嘉平四



正月 司馬師が大司馬となる。

二月 張氏を皇后に立てる。























十二月 王昶に南郡の、毋丘倹に武昌の、胡遵・諸葛誕には東興の攻撃を命じる。

延煕十五




































太元二
孫権 [神鳳元]
会稽王孫亮 [建興元]




二月 神鳳と改元を行う。
孫権の病気が危篤となり、諸葛恪・孫弘・滕胤・呂拠を召して、後事を託す。

四月 孫権が逝去する。年は七十一。大皇帝と諡される。
諸葛恪が孫弘を殺して実権を握る。
太子の孫亮が即位をし、建興と改元をする。

閏四月 諸葛恪が太傅に、滕胤が衛将軍に、呂岱が大司馬になる。
諸葛恪が呉の実権を握り、政治改革を行う。

十月 諸葛恪は、東興大堤とそれに付属する両城を築く。

十二月 諸葛恪は東興の救援におもむき、丁奉らが魏軍に打撃を与える。

この歳、応キョが死去(一九〇〜)。
魏華存が生まれる。
二五三





















嘉平五









五月 司馬孚に命じて、合肥の救援におもむかせる。









延煕十六

正月 大将軍の費[示韋]が、酒宴の席で郭循のために刺殺される。

















建興二





二月 東興から凱旋し、諸葛恪は荊揚州牧・都中外諸軍事を加官される。

五月 諸葛恪は合肥新城を包囲する。
疫病が流行し、諸葛恪は兵をひく。

十月 孫峻は、呉主孫亮とはかり、殿中において諸葛恪を誅殺する。
孫峻は、丞相・大将軍・都中外諸軍事に任ぜられる。

この歳、山簡が生まれる(〜三一二)。
二五四


















嘉平六
高貴郷公曹髦 [正元元]



二月 司馬師は、中書令の李豊を殺害し、夏侯玄・張緝らを捕らえて誅殺する。

九月 司馬師がクーデターを発動し、魏帝曹芳を廃して斉王となす。

十月 高貴郷公曹髦を帝位につける。ときに曹髦は年十四。
正元と改元する。

延煕十七


















会稽王孫亮 [五鳳元]


正月 五鳳と改元する。















 
二五五


































正元二

正月 毋丘倹・文欽が寿春において司馬師討伐の兵をおこす。
司馬師は内外の兵を率いてこれを討伐。
毋丘倹・文欽の軍は敗れ、文欽は呉に投降、毋丘倹は土民に殺される。
司馬師は許昌で病死する。

二月 司馬昭が大将軍・録尚書事に任ぜられる。
諸葛誕は呉軍を追いかえす。

三月 卞氏を皇后に立てる。















延煕十八
























八月 姜維が狄道へ兵を進めるが、魏の陳泰らの攻撃を受ける。

九月 姜維は敗走する。





五鳳二












二月 孫峻は、寿春を攻める。






七月 孫儀・張怡・林恂らが孫峻の誅殺をはかるが、発覚して失敗する。







十二月 建業に太廟を建て、孫権を太祖として祭る。

 
二五六




























正元三
高貴郷公曹髦 [甘露元]




六月 甘露と改元する。
















十月 鄭沖を司徒に、盧毓を司空に任ずる。




延煕十九


正月 姜維が大将軍となる。



七月 姜維が[示β]山へ兵を進めるが魏の艾に敗れる。


















五鳳三
孫亮 [太平元]






七月 文欽・呂拠・劉纂・唐咨らをつかわして、淮水流域へ軍を進めさせる。

九月 孫峻が死んで、孫[糸林]が呉の実権を握ると、呂拠らに撤退を命じる。
呂拠は孫[糸林]の命令を拒否し、孫[糸林]を伐とうとするが失敗し、滕胤が殺害され、呂拠は自殺をする。

十月 太平と改元する。


十一月 孫[糸林]を大将軍に任ずる。

この歳、王粛が死去(一九五〜)。
二五七

























甘露二






五月 征東大将軍の諸葛誕は、司馬昭の勢力が大きくなるのをおそれ、淮南の地で反乱をおこし、呉へ帰順したいと求める。

六月 司馬昭は魏帝をともなって淮南へ兵を進める。





九月 司馬望・艾が姜維を防ぎ止める。


延煕二十





















九月 姜維が泰川まで兵を進める。


太平二

四月 呉王孫亮がみずから政治を執るようになり、実力者の孫[糸林]との関係が悪化する。








六月 武昌を守っていた孫壱が魏へ逃亡する。


七月 孫[糸林]は諸葛誕救援のために寿春にむかう。

九月 孫[糸林]は、包囲された諸葛誕を救えぬまま軍を引く。

この歳、陶侃が生まれる(〜三三二)。
二五八



































甘露三




正月 包囲された寿春城内で諸葛誕と文欽とが対立し、諸葛誕は文欽を殺す。

二月 司馬昭が寿春城をおとす。
諸葛誕は逃亡しようとして斬られる。

五月 司馬昭を相国に任じ、晋公に封じ、九錫を与えようとするが、司馬昭は辞退する。

八月 王昶を司空に任ずる。














後主劉禅 [景耀元]


景耀と改元する。
































太平三
景帝孫休 [永安元]


















八月 呉主孫亮は孫[糸林]の誅殺をくわだてる。

九月 孫[糸林]がクーデターを発動して、孫亮を廃して会稽王とし、孫休を迎えて帝位につける。
永安と改元する。
孫[糸林]は、丞相・荊州牧となる。

十二月 臘会の日、孫休は丁奉・張布と計って、宮中において孫[糸林]を斬る。

 
二五九







甘露四







景耀二

八月 尚書令の陳祇は、姜維をしのぐ権力をふっていたが死去。
董厥が尚書令に、諸葛瞻が僕射になる。

永安二







 


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