西暦 | 魏 | 蜀 | 呉 | 備考 |
二四〇 |
少帝 [正始元] |
延煕三 張嶷が越スイ太守となり、その地の異民族の多年にわたる反乱を鎮める。 |
赤烏三 |
この歳、周処が生まれる(〜二九九)。 |
二四一 |
正始二 四月 王リョウ・孫礼・胡質らを派遣し、呉の進出を防ぎとめさせる。 六月 司馬懿が樊城の救援にむかい、呉の軍をおいはらう。 |
延煕四 六月 蒋 ![]() |
赤烏四 魏に対し各地で軍事行動をおこす。 四月 全[王宗]は淮南を攻略して芍陂をこわし、諸葛恪は六安を攻め、朱然は樊を包囲し、諸葛瑾は[木且]中を攻撃する。 五月 太子の孫登が死去する。 |
この歳、管寧が死去する(一五八〜)。 |
二四二 |
正始三 七月 蒋済を太尉に任ずる。 |
延煕五 |
赤烏五 春 孫和を太子に立てる。 七月 聶友・陸凱をおくって、タン耳・朱崖を討伐させる。 八月 孫覇を魯王に立てる。 |
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二四三 |
正始四 正月 魏帝曹芳は元服の礼を行う。 四月 甄氏を皇后に立てる。 十二月 倭の女王卑弥呼の使者がふたたび魏をおとずれる。 |
延煕六 正月 蒋 ![]() 十一月 費[示韋]が大将軍・録尚書事に任ぜられる。 |
赤烏六 正月 丞相の顧雍が死去。 |
この歳、カン沢が死去する。 |
二四四 |
正始五 三月 曹爽は大挙して関中から漢中に攻めこむ。 閏三月 蜀の費[示韋]の救援により魏は大きな損害を受けて軍を引く。 |
延煕七 閏三月 費[示韋]を救援のため漢中におくり、魏を討ち破る。 |
赤烏七 正月 陸遜を丞相に任ずる。 |
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二四五 |
正始六 正月 趙儼を司空に任ずる。 八月 高柔を司空に任ずる。 |
延煕八 正月 蒋 ![]() 宦官の黄皓が朝政に口を出すようになる。 |
赤烏八 正月 太子孫和と魯王孫覇との間の確執が激化し、その争いの中で張休は自殺を命じられ、陸遜は憂死する。 |
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二四六 |
正始七 幽州刺史毋丘倹は、高句麗王の位宮を伐ち、その都の丸都を落とす。 毋丘倹は、さらに玄菟太守の王[斤頁]を追って、沃沮から粛慎氏の南界へまで軍を進める。 |
延煕九 九月 姜維を衛将軍に任じ、費[示韋]とともに政治の枢にあたらせる。 |
赤烏九 九月 歩隲を丞相に、朱然を左大司馬に、全[王宗]を右大司馬に任じる。 また荊州を二つに分けて、呂岱・諸葛恪にその軍事をあずからせる。 大銭の使用をやめる。 |
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二四七 |
正始八 正月 曹爽が何晏・ ![]() 司馬懿は病気と称して政治に与らない。 |
延煕十 正月 姜維が隴右に兵を進め、魏の郭淮・夏侯覇らと戦う。 |
赤烏十 正月 全[王宗]が死去。 五月 丞相の歩隲が死去。 |
この歳、康僧会が建業にやってくる。孫権は彼のために建初寺を建てる。 |
二四八 |
正始九 四月 高柔を司徒に、徐バクを司空に任ずるが、徐バクは固辞する。 九月 王リョウを司空に任ずる。 |
延煕十一 九月 ![]() |
赤烏十一 九月 交趾・九真の異民族が反乱をおこす。 陸胤をさしむけて、これを安撫させる。 |
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二四九 |
正始十 少帝 [嘉平元] 正月 司馬懿がクーデターをおこし、曹爽とその一味の何晏・ ![]() 右将軍の夏侯覇は蜀へ亡命する。 四月 嘉平と改元を行う。 十二月 王リョウを太尉に、孫礼を司空に任ずる。 |
延煕十二 秋 姜維が雍州に軍を進め、麹山に城を築くが、魏の郭淮らがこれを破る。 |
赤烏十二 三月 大司馬の朱然が死去。 |
この歳、石崇が生まれる(〜三〇〇)。 王弼が死ぬ(二二六〜)。 |